職人文化人類学

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【職人のリレー】第五走者 箏曲家 鹿野麻稀

2018/9/8 職人のリレー Writer:仕立屋と職人 イシイとワタナベ

witter: Kazu

みなさん、こんにちは武者修行中のKAZUです!

先日、僕の記事を読んでくださった方とお会いして、
お話しをさせていただきました。
初めて、読んでくださっている方をリアルに感じて
テンション上がりまくりで記事を書いております!

今回は、演奏家と指導者。二つの顔を併せ持つ
箏曲家(そうきょくか)の鹿野麻稀先生
第五走者として走っていただきました!

蚕が生み出す繭から生糸を作り、
その生糸を使って弦を作る。
様々な工程を経てできる絹弦は
どのように扱われているのか。
演者さんにとってどのような存在なのか。

演者さんとしての鹿野先生、
指導者としての鹿野先生。
それぞれで大切にしていることはなんなのか。

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想いの行きつく先

仕立屋と職人:カズ (以下:カズ)
お箏(こと)をつくる職人さんを意識することはありますか?

箏曲家:鹿野麻稀 (以下:鹿野先生)
ありますね。
人と会うのと一緒で、お箏を見たときに「あ、すてき」って思います。
作り手さんあってのお箏だっていうのは、意識したことがない
というよりは普通に意識しています。

カズ:
その中でも弦に対して意識することはありますか?

鹿野先生:
弦がまず最初に音をつくり出すときに触るものなので、
なでなでしたりします。
例えば冬だと弦が固いんですよね。
無理やり弾くと可哀想でしょ?
人の体も、準備運動なしで寒いときにばんってやったら
痛めるじゃないですか。

カズ:
本当に人間と同じような感じで接するんですね。

鹿野先生:
そうですね。大事な可愛い私のお友達です。
弦は最初に触るもので、
一番最初に音を作ってくれるものなのですごくこだわります。

カズ:
作り手の方々を意識することで音は変わったりするんですか?

鹿野先生:
変わると思います。

カズ:
それは他の方の演奏を聞いて、意識してるかどうかってわかるんですか?

鹿野先生:
この人は楽器大事に弾いてるかとか、
楽器とどう付き合ってるかっていうのは
やっぱり音とか音楽性で、わかっちゃいますね。
アマチュアだけど、すごく楽器を大事にして、
お箏好きで弾いてらっしゃって、
すごくいい音出されてる方もいらっしゃいますし、
プロだけど「はいはい。こなしてます。」ていう方もいます。
私も基本的には弾き出したら曲に入り込んでいるんですけど、
やっぱりいろいろ心配事があると曲に集中できなくて、
失礼な演奏を聴かせてしまったなっていう反省はします。
お箏とはパートナーなので、違うこと考えてると
この人(お箏)を無視して弾いてるわけじゃないですか。
それはしないようにはしています。

~KAZUの豆知識コーナー~
実は、は違う楽器で、
箏は柱(じ)を使って音程を変えるもの。
琴は弦を指で押さえて音程を変えるもの。
ちなみに、こと、というのは昔は弦楽器の総称を指す言葉だったそうです!

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お箏にはたくさんの部品がある。
そのなかの弦という一つのモノにも
たくさんの想いが詰まっている。

蚕を育て、糸取りをして生糸を作る職人である佃三恵子さん
絹を創り出す蚕に対する愛情

その生糸を受け取って、弦にする職人の橋本英宗さん
弦を作るという芯と、
その前提にあるすべての演者さんに喜んでもらえるためという想い

その想いを知っているからこそ、
鹿野先生はお箏と真摯に、丁寧に向き合って
良い音を奏でることができるのだと思う。

そんな鹿野先生は大切なお箏と、どんな音を奏でるのだろうか。
どのような演奏が理想なのだろうか。

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お箏と創りだす世界

カズ:
先ほど「曲に入り込んでいる」とおっしゃっていたじゃないですか、
そのときって、曲の解釈とかを考えながら弾いてるものなんですか?

鹿野先生:
曲の解釈を考えて弾いてるときは、
まだ弾きこなしてないと思うんですよね。
教えてるときは考えながら弾いてますけど、
純粋に音楽を楽しんでもらう場合は
曲に入れている自分の想いに共感してくれたら嬉しいなって
思って弾いているんですよ。
「こう聴いてください!」じゃなくて、
あたしはこの子(お箏)とこういう世界を、空気を作りたいな。
ていうのがあって、それを分かってもらえたら嬉しいなって思います。

カズ:
それが、鹿野先生の演者としての目標なんですか?

鹿野先生:
そうですね。やっぱり共感してほしい。
おいしいもの食べたら、「食べてみてください」っていうのと一緒です。
だけど、みんながお箏知ってるわけでも、詳しいわけでもないから、
なんで好きか説明しないと分からないじゃないですか。
そのためにプログラムの解説とかをするんです。
でも、本当は何も言わなくても「きもちいい」とか「かなしい」とか、
「今お花畑にいるんです」とかいうのが、曲から伝わって
一緒の空気とかその時間を共有してもらえたら理想だろうなとは思います。

カズ:
お箏を聴いたことがないような素人の方にも思いますか?

鹿野先生:
好き以上の何か、自分の絶対必要なものを褒めてもらえたり、
一緒に時間を過ごしてもらえるっていうのは
本当にありがたいことですね。
お箏の演奏は形に残るものではないので時間芸術なんですよ。
その時間を良かったって。
「曲のことはよくわからないけど気持ちよかったわ」と言われると、
弾いてよかったなって思います。

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今まで、僕はお箏や尺八などの、
日本の伝統的な音楽に対して、
弾くことだけでなく、聴くことも難しいものだと思っていた。

でも、自分と楽器が創りだす世界に共感してほしい。
こういった想いは、ロックでもクラシックでも同じだと思う。

お箏は伝統的な音楽だとかいう前に、一つの音楽で、
難しいことなんて考えずに、
ただ純粋に楽しめばよいのだと気が付いた。

実際に鹿野先生の演奏を聴かせていただいて、
技術がすごいとか、どれが良い表現だとかは分からなかったけど、
「とても綺麗な音だな」と純粋にお箏を楽しめた。

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GTS グレート ティーチャー シカノ

カズ:
指導者としての目標ってどんなものがありますか?

鹿野先生:
普段のレッスンでは、来た時よりも上手くして帰す。
あとは人前で、子供でも良い音楽として拍手をもらえる演奏をさせる。
できない人は舞台に立たせない。
そのほうが、絶対本人にも良いんですよ。
下手な演奏して褒められて勘違いして
ずっと下手でいられたら困るんで。
親にも出しませんって言います。
だってその子のために良くないし、そんな下手なはずじゃないから。

カズ:
その裏には、この子だったらもっとできるはずだっていう
期待があるんですか?

鹿野先生:
雑に弾いた演奏しか聴いたことがない人がいたとしたら、
その人にとってのお箏はそれがすべてじゃないですか。
出会いなんですよね。音も出会いだし、人も出会いなんです。
もし「今日聴いた音楽が気持ちよかった」とか
「あの五分がとてもいい時間とか」思ってもらえれば
こちらも「My pleasure」みたいな。
だから、子供たちに一ミリでも良い音だそうねって言うんです。
あとは、コンクールだと時間が決まっているんですけど、
基本的に出てきたときの姿とかお辞儀の姿から違うんですよ。
そういうことまで教えるかっていうと、やって当たり前
だから、あんまりひどい子には伝えます。
でも気持ちが真摯な子は背筋にもでるし、
あんまりしつこく言わなくても良いんです。
そういうことは審査対象外だけど
それができる子は演奏も違います。
その辺を子供たちに伝えたい。
だから、今日やめてしまっても
絶対何かその子になにか残るようにレッスンしています。

子供が弾いていようが、大人が弾いていようが、
聴く人にとっては、それはお箏での演奏には変わりない。
その演奏でお箏に対するイメージが決まるかもしれない。

たとえ子供でも、きちんと演奏家として接する。
鹿野先生は教え子たちを一人の演奏家として尊敬している。
そう感じた。

だからこそ、いい演奏ができない子は舞台に立たせないし、
姿勢についても、できて当たり前だと考えるのだと思う。

鹿野先生の教え子の一人である、
早瀬大和くんの練習風景を見学させていただきました。
この大和君、中学生なのですが、
まさに良い音楽として拍手をもらえる演奏を披露してくれました。

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モノを大切にするということ

鹿野先生:
三味線のバチで言うと、全く音は違うけど、
プラスチックのバチは三千円ぐらいなんですよ。
象牙のバチは百五十万円ぐらい。

カズ:
そんなにするんですか!?

鹿野先生:
息子がテレビで象がひどい扱いを受けているっていうのを観て
フェイスブックに上げてたんですけど、
使わないとは言えないんですよね。
今持っているモノをもっと大事に使わないといけないとしか言えない。
減ってしまうのは仕方ないんだけど、
大事に使わなきゃなと思います。
それこそ命を頂いているってことに
感謝しなきゃいけない
んだろうね。

カズ:
絹の弦でも同じことが言えるかもしれないですね。
1本の弦に3000頭の命が使われていますし。

鹿野先生:
大きくなった蚕を、ごめんねって殺しちゃって。
でも正直言って、それを考えては弾いてないので。
残酷なことをしているなと思うと辛くなっちゃうので、
いろんな命に活かされて、
自分が演奏させてもらっている
なって思っています。
そう考えると、少しだけかもしれないけど
いい音で弾けるんじゃないかとか、
いい気持ちで弾けるんじゃないかとか、
話さなくても伝わる人には伝わるかも
とかね。
でも、こういう話ってしにくいんですよね。
くだけた会でどうしても言う必要があれば
「これ海外で使えないんですよ。
だからプラスチックだってごまかしてるんです。」
て軽く話せますけど、基本的に触れないようにしています。

カズ:
ある意味タブーなんですか?

鹿野先生:
これだけ動物愛護が言われている時代に、
自分も猫を保護していて、
私が直接に殺したわけじゃないけど、じゃあ象の命はいいの?
お肉食べない人とか、毛皮の服着ないって燃やしている人いるけれど、
そうじゃなくて、死んでしまったもの、殺してしまったものを、
もう最後は雑巾かもしれないけれど、燃やすとか捨てるじゃなくて、
せめて使えなくなるまで、大事にして使う人が増えれば
そこまで乱獲されないんじゃないかと思う。

カズ:
佃さんも同じことをおっしゃっていたんですよ。
「一カ月の間、可愛い可愛いって世話をしているけど、
最終的には熱風の中にさらして命をいただく。
でも可哀想だとは思ってない。
人間がちゃんと使わないほうが可哀想だ。」って

鹿野先生:
殺されてしまったなら、最後まで全うさせてあげたいとか、
それはすべてに対して思いますね。
前にすごい乱暴にお箏を扱う子がいて、
「お箏痛いよ」って言ったんですよ。
そうしたら「痛いわけないじゃん」て笑ったんですよ。
じゃあ、あなたは叩かれて痛くないのか。
モノにだって感情はあるって、小学生に怒ったんです。
それは、別に自分の楽器を雑に扱われたから怒るんじゃなくて、
そういう子にお箏を弾いてほしくないから言ったんです。
自分にとっては大事な存在だから、
自分のモノでも他の人のモノでも、
高くても安くても大事にしてほしいなって
安いお箏でも「今日ご機嫌どうかしら」
て引いたら絶対に良い音が鳴るんですよ。
高くても気難しい子っていますし、
こっちが嫌いと思うと相手にも嫌いと思われますしね。

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お箏には生き物の命が必要になることもある
例えば、箏柱には象牙が使われているものがある。
象牙が必要ということは、象の命を頂いているということだ。
他にも、絹弦には一本3000頭もの蚕の命が使われている。

でも使わないとは言えない。これはお箏に限ったことではないと思う。
動物の皮を使ったブランド品。
大量に捨てられるお肉。
僕たちは数えきれないほどの命の上に生きている。
それでも、今の社会には必要なことかもしれない。

鹿野先生はおっしゃった。
「殺されてしまったなら、最後まで全うさせてあげたい。」
これが本当に物を大切にするということなのだろう。

こんなことを言うのは簡単だし、
世の中にはありふれていると思う。
偽善だろと言われるかもしれない。

でも、僕は
一つのモノが作り出されていく過程。
そこに使われている命。
注がれる職人たちの想い。

これらを職人の方々とお話させていただくことで
少しだけではあるが、知ることができた。
僕にとっての絹弦は、たくさんの想いと命からできた弦で、
ただの弦というモノではない。

この世の中に出回っているすべてのモノに、
誰かの想いと何かしらの命が使われている。
そう思うと大切に扱おうと思える。

いままでは、モノは大切にすべきということを知っていただけだった。
知っていることを、思っていることだと勘違いしていた。
鹿野先生がお箏を大切にする姿は、そう思うほどだった。
だからこそ、鹿野先生の音はあんなにも綺麗なのだろう。

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