金髪女とヒゲロン毛が伝統産業のカンファレンスに行ってみた話。 (第二話・工芸と工業の次)
witer:石井
いきなりだけど、みなさんは学生の頃、どんなでしたか?
↑のスクリーンに映し出されてる画像、矢印の群です。
金髪とヒゲロン毛は明らかに、この中だったら
流れに乗ってない→でしょう。もしくはスクリーンの外かも。
SCHOOLの語源はギリシャ後でSCHOLE。
意味は、暇、自由、余白。ずいぶん違うな、自分がいた学校とは。
→ が人だとしたら、
高度経済成長期にはみんなが同じ方向を向いている →。
成熟期に入った現代では、この → が自由に泳ぎ始め
群をなさなくなってきた。
そんな話から、中川政七さん、赤木明登さん、鞍田崇さんの話は始まる。
みんなどこに属してるのか?
これまでは社会、故郷、地域がだいぶ密着した関係にあった。
今、過去数十年と比べると、どこに自分が属してるのか、
漠然とした不安を覚える人は増えているのではないだろうか。
SNSやスマホ普及で24時間、地球の裏側とも繋がれるようになったが、
自分のHOMEはどこなのか、どこか根無し草のような感覚が現代人に
あるのではないか、と話が続く。
今、民芸・工芸品を取り扱うブランドやショップが東京を中心に急増中。
なぜ、それをユーザーが求めているのか。
それを考えたとき、どこか原点回帰のような、懐かしいような、
自分のルーツを確認するためにそれを手に入れるのではないだろうか。
過去に柳宗悦が、民芸は用の美である、と言った。
草履や竹かごや農具など、生活に必要な道具に、
無駄のない美しさや人がつくりだした温もりを見出した。
やがて、海外から現代美術が日本に入り、
工芸は思想を表す道具となった。
長浜シルクもそうだが、明治時代を界に、
工芸は手仕事から機械化されていき、工業になった。
つまり、これまでの変遷を辿ると、
民芸 → 工芸 → 工業 → ?(未来)
と言える。じゃあその先はどうなる?というのが今回のお題。
そう、人は今ルーツや温もり、手間を求めている。
ここへ来て次なるステージは、
民芸のアップデート なのだ!
民芸 → 工芸 → 工業 → NEO民芸
とはいえ、もちろんこのご時世に利便性や生産性は必要だ。
民芸は民芸のままでは、受け入れられない。
これはどの産地でも言えることだ。
アップデートとは、
現代の技術を駆使しながら、
人の温もりやルーツを感じ、
ユーザーの共感を生むもの。
この日、共感という言葉が度々聞こえて来た。
ユーザーは何を求めて来たのか、これにも変遷がある。
利便性 → 安心・安全 → 共感 → ?(未来)
ここまではストーリーを通じて、ユーザーの共感を生むことが
重視されてきた。じゃあその先どうなる?
それは、 憧れ なんだそう。
へぇ〜〜〜〜〜 あ こ が れ?
上に帰属性という言葉がでた。
つまりHOMEと思えるような暮らし。
身の回りに置くものはその暮らしを彩る。
2拠点、多拠点、Uターン、Iターンが増加し始めてしばらく経つ。
しかし、それをみんながみんなできるわけでもないし、
そこまでしたいと思ってる人は少ないと思う。
購入するモノに対しての憧れ、
そのモノをつくってる場所への憧れ、
職人が持つルーツへの憧れ、
そしてそれを身の回りに置く生活への憧れが
購買意欲につながっていくのではないか。
パネルディスカッションが一通り終わり、質問タイムへ。
一番最初に手を挙げ、運良く質問をぶつけることができた。
これから、海外のユーザーが直接買い求めに来たり、
連絡をしてきたりすることが増えると思う。
そうなっていくとしたら、産地にいる職人はどういう風に
適応していくべきか?
これに対してのお答えは、
共感や憧れの部分でいうと、
まず同じ文脈を持っている日本がやりやすいだろう。
日本でまだまだできることがあると思っているので、
日本に注力する。
というものだった。
でも、つくり続けてウン十年という職人の元に
訪日客が訪れるかもしれない。
日本の文化や生活に憧れた海外客が
直接買い求めにくるかもしれない。
この答えはまだでないままだけど、
職人が開いていかなければならないことに変わりはない。
中川政七さんが言っていた言葉が印象的だった。
工芸品には、数値や言葉で説明できない、感覚的な良さがある。
それが工芸の魅力であり、それをユーザーは買い求めている。
感覚的な部分を、共感や憧れに載せて、
工芸品を売って来た中川政七商店は大きくなった。
職人が語る場所をつくり、それをどう料理して伝えるか。
その方向自体間違っていない、そう思うカンファレンスだった。