【職人のリレー(後編)】第一走者 有限会社 吉正織物工場 吉田和生
有限会社吉正織物工場・社長であり、
浜縮緬工業協同組合の理事長でもあり、
浜ちりめん職人でもある吉田和生。
浜ちりめんの未来を守るために挑戦に挑戦を重ね、戦い続けてきた。
前半では吉正織物工場が浜ちりめんをつくり始め、
新参者から挑戦者へ進化していく話を。
後半では挑戦者として一緒に戦う職人との話、
吉田さんが見据える浜ちりめんの未来の話。
吉田和生の戦う心の奥底に踏み込んでいく!
ほんまの一人前になるまではやっぱり10年ですよ
仕立屋と職人 ワタナベユカリ(以下W):
吉正織物工場ではどんな職人たちが働いているんですか?吉正織物工場 吉田和生(以下Y):
ここで働いている人たちは若い頃からちりめんに携わってきた職人達ばっかりですね。
みんな、すごい!それぞれ思いがある人たちばっかりですね。職人には織工(おりこう)と準備工(じゅんびこう)と言って
撚糸といった糸の準備などをする準備工。
織機を扱う、織りを専門とする織工。
織工は常に動いている織機に気を抜けないからしんどいですね。
織機が止まったらすぐに対処しなければいけないんですよ。
機械が止まった時間が長いほど、糸の密度が変わり生地の傷が深くなるので。W:
一人前の織工になるまでもすごい時間がかかるんですか?Y:
かかってますね。
一から育てようと思ったら、どんなに早くても織機が動くようになるまでには1年ぐらいかな。
でも、判断できてほんまの一人前になるまでは、やっぱり10年ですよ。
10年ていうのは、安心して任せられるようになるまで、ということ。(職人の育成は)余力がないと育てられないですね…
余力。
産地に若者がくるようになれば人材不足が解消されるという話ではない。
新しい職人を育てられない。
日本の経済、和装業界の構造、ライフスタイルの変化、技術習得の難しさ、職人の高齢化…たくさんの要素が複雑に絡み合い、
日本全国の産地が危機的状態に陥っているのだ。
例に漏れず、長浜もその現実が立ちはだかっている。
日本の経済の中で、どのあたりの歯車の中にいるのかを話し続けている
W:
浜ちりめんの世界で新しいチャレンジを続ける中、
一緒に働いている職人たちをどうやって先導して走ってきたんですか?Y:
先代から代変わりをして全体を見るようになりましたね。
経営の勉強会は数限りなく行った。
繊維の技術者としての勉強も品質管理の勉強も、一から始めて、
ここで働いていた当時の先輩達からも、親父からも
経営についてたくさん教わった。
それなりに勉強して現場に落とし込んでやってきたつもりなんですけど、
職人たちに勉強会で得た知識をそのまま言っても、
なかなか伝えるのが難しい。なので、私が経営に関わるようになってからは二週間に一回、
吉正織物工場がどういう工場かという話、
吉正織物工場が浜ちりめんの中でどういうポジションにいるか、
浜ちりめんは和装業界の中でどんなポジションにいるか、
日本の和装業界はどんな経営環境にあるか、
ということをずーっと話し続けてきてます。職人は同じ作業が多いけれども、
「私の仕事は日本の経済の中で、どのあたりの歯車の中でやっているのか」
ということをわかってもらいたいから常日頃言ってます。
一着の着物になるまでには、各専門で機織り職人や染色職人など、
たくさんの職人が関わっている。
機屋の中にも各行程の職人たちがいてこの地場産業は成り立っている。
それは他県の染色や縫製の分野であっても同じだ。
どの職人が欠けても着物という形にたどり着けない。
それがこの世界の職人の構造だ。
着物として世に出るときは反物(白生地)の名前よりも
染め上がった京友禅、加賀友禅という名前が消費者に認知されるのが現実。
だが、この染色職人たちが人生をかけて反物に柄を描くことができるのは
人生をかけて白生地を織っている職人がいるからこそ
表現できる世界なのだ。
ちゃんと利益を出さないと未来はない
Y:
やはり産地は深刻ですよ。
和装の構造的な問題(川上川中川下の関係)がある。
和装は和装でなんとかしようと思ってますけど、
私は今和装からの脱却も図りたいと思っていて。
ちゃんと利益を出さないと、織工も育てられない。
目下の大目標はちゃんと利益を出せる会社に変えること。
そうならんと、未来はないですよ。W:
利益を出すっていうのは、この時代にどういう形がベストだなって思いますか?Y:
社会に役に立つものをつくらないと、
それなりの価格になって売れないわけですよ。
今我々が作っている着物の生地は必要ではあるけれども
やっぱりまだ供給過剰な部分が否めないので価格が充分に出ない。今やっと川下川中の問屋さんが変わらんと産地なくなるぞ!
って危機感が出てきたから、価格もようやくちょっとずつ上がるようになってきたんですけど…
我々が希望する価格で買ってもらえるものは何か、
ということを考えないといけない。
それでたどり着いたのが洋装向けの生地ですよね。
呉服市場の規模は1980年前後のピーク時は1兆8,000億円だったのに対し、
2005年は6,100億円、さらに2017年のは2,710億円と年々大幅に縮小しているのが現状だ。(矢野経済研究所の調査より)
日本人の着物離れは否めない。
長浜で白生地をつくってから、
消費者の手に届くまではとても長い道のりだ。
川上にいる職人は、川中に流した後の自分がつくった
製品のことを知る由がない。
それは江戸時代から続く流通経路と利益構造の関係性。
この構造が、着物という文化を守ってきたということも言える。
しかし、額に汗してつくられた職人たちの反物が、
きちんと労働と品質に見合った適正な価格で販売できる
新しい構造が構築されなければ産地は消滅してしまう。
卸問屋や呉服屋、そして職人の関係性が変わる時がきた。
正に今、変わらなければいけない時なのだろう。
ええ格好ばかりしていられない
W:
新しいことにも挑戦してるし、一緒に開発しようといってくる人たちもいると思うのですが、その中で一番安心して新事業に取り組める条件
ていうのは何かあるんですか?Y:
ぶっちゃけて言うと何にもこだわってないです。
話の内容によりますね。でも大概オッケーしちゃいます!(笑)
いかようにも変化しますし、最近ではシルクの知識を生かして、
浜ちりめんという枠を超えてきています。
事業をやっていくためにも会社を存続させるためにも、
ええ格好ばかりしてられないので…
やってみないとわからないですからね!
産地もまた、着物文化を守るために新しい分野を開拓する
変革期を迎えている。
浜ちりめんの職人として、手を真っ黒にしながら織機を触り、
吉正織物工場の社長として、自らの足で営業にもまわり、
浜縮緬工業協同組合の理事長として、浜ちりめん産業の未来を考える。
会社を、浜ちりめんを、和装文化を、大事に思う吉田さんの気持ちを言葉の端々に感じた。
W:
吉正織物工場として、また職人としてでも、
2年後の2020年と20年後の2038年の吉田さんが思い描く夢はありますか?Y:
2年後はなかなか難しいですねー。
和装でいうと2年後はそれなりに採算も合うようになって
変わりそうな気がするんですよね。
頼むところがなくなってきているから問屋さんも
危機感を持ってきているのが京都新聞(※詳細以下記載)にも書いてあるので。
和装業界もやりながら機場の1/3くらいはアパレル向けの広幅生地の生産が
始められてればいいなと思っていますね。
京都新聞(※)
2018年5月4日から3回に渡り連載された「和を紡ぐ 着物産業の今、未来」。
きものサミットin京都2018が9月5日に開催されるにあたり、
西陣織工業組合 渡辺隆夫理事長、京都織物卸商業組合 野瀬兼治郎理事長、
和装小売大手やまと 矢嶋孝敏会長の三者による座談会。
Y:
20年後の2038年は…
長浜の浜ちりめんの工場がやっていくには、なかなか後継者がいないんですよね。
このままでは間違いなく(工場は)なくなりますよね。まず10年後が怪しい。今は産業と呼ぶ規模ではないんですね。
出荷額が10億円いってないんですよ。
それがせめて何十億円に増えて、長浜の中でもまた再び浜ちりめんという産業の地位が確立できたらええなと。
でも、こないだの未来会議から浜ちりめんにこだわらなくてもいいなと思いましたけどね。W:
(私の心の中では仕立屋と職人が開催した長浜シルク産業未来会議vol.1が
吉田さんの中で何かしらの取っ掛かりをつくれたのかも…と、
この言葉を聞けて嬉しかった。)Y:
長浜のシルク産業の中に浜ちりめんも含まれていたらいいですよね。
やっぱり浜ちりめんの技術は世界にはないですから。
世界に持って行っても「こんな生地見たことない」って
感動に近い言葉を言ってもらうんですけど、ただ、幅が狭いと言われて…
京都新聞の記事の中でも、
産地側には利益をもっと配分し、消費者には適正な価格で販売できること、
産地振興、和装業界の改革、消費者への信頼…これらを解決した先に未来がある、と。
これらの問題は、すぐに解決することは難しいことだ。
だが業界全体が変わらなければいけない!
という流れに向いているということは
産地にとっても、消費者にとってもいい兆しになることは間違いない。
名誉と誇りに後押しされて
W:
今日話していただいた、今までやってきたことや、これからのこと、
一番この話を誰に聞いて欲しいですか?Y:
強いて言えば、知って欲しいのは…
家族に苦労かけているので、家族によかったねって言って欲しいね。
一番はかみさんにだいぶ苦労かけてるので。あと子供たちですね。
家族に楽させたい。あとは親戚ですね。
昔は親戚もみんなうちの仕事をしていてくれたんですよ。
出機(でばた:織元が機械や糸等材料を渡し委託で織る職人のこと)の5軒中3軒は親戚だったし、
親父の代では、紬でも長浜で一番大きな工場だったから。
みんな親戚はうちが織物をやっているというところで、
誇りに思ってくれているところもあって。
その期待にも答えたいなという思いもあるんですよね。
まわりが機屋を辞めていく中、うちはまだやっていて、
まわりまわって理事長をしていることを
すごいと思ってくれているのではないかな、
と思っています。なんとしてでも、歯を食いしばってでも続けていかんと。
名誉と誇りに後押しされてやっているというのもありますね。
口分田町に住みながらやっているというのはうちただ一軒なので、
そういう意味でも頑張らないかんなって。
ここ長浜が一番栄えていた頃、浜縮緬工業協同組合の加入社数は約120社。
長浜市一大産業であった浜縮緬工業協同組合の理事長のトップというのは、
やはり特別な存在であった。
浜ちりめんに携わっていた吉田さんの親戚や、
かつてピーク時には機屋が38軒もあったこの近所の人たちは、
その繁栄の時代を知っている。
現在、浜縮緬工業協同組合の加入社数は12社。
かなり規模が縮小してきていて、その中で、
「やむを得ず務めなければならなくなった理事長ではある」
と話していたが、
吉田さんの名誉と誇りが、浜ちりめんを未来に繋げる原動力かもしれない。
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よくメディアで産地が危機的状況にある、という記事を目にする。
現代の生活では着物を着る機会が減ってきているため、
和装文化衰退を身近な問題として感じる人はそう多くはないと思う。
しかし、この問題は着物を着る人たちだけの問題ではないはずだ。
着物という形の背景には、文化、経済、歴史があり、
産地が消滅するということは、
これらも同時に消滅してしまうことを意味する。
自分が使っているものは、
どれくらいの人たちの手によってつくられているのか、
なぜこの金額で売られているのか、
どんな思いでつくられているのか、
ということをこの記事を読んだ人たちが、
改めて考えるきっかけになったら…と切に願う。
有限会社吉正織物工場 吉田和生社長、
お忙しい中お時間いただき、
インタビューご協力ありがとうございました!!
有限会社 吉正織物工場
http://www.yoshimasa-orimono.jp/
〒526-0014 滋賀県長浜市口分田町629番地
0749-62-1790
写真:右から、石井挙之(仕立屋と職人)、吉田和生(有限会社吉正織物工場)、吉田美恵子(有限会社吉正織物工場)、ワタナベユカリ(仕立屋と職人)
さてさて、職人のリレー、無事第一走者完走し、
第二走者にバトンが渡ります。
すでに第二走者のインタビュー行ってまいりました!!
乞うご期待っ!!!