職人文化人類学

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【職人のリレー(前編)】第一走者 有限会社 吉正織物工場 吉田和生

2018/5/11 職人のリレー Writer:仕立屋と職人 イシイとワタナベ
witer:石井

長浜市街地から少し車を走らせると、
口分田町(クモデチョウと読む)に入る。
仕立屋号を工房前に停め、車を降りると

ガシャンガシャンガシャンガシャン・・・と
織機が幾重にも重なる音が聞こえてくる。

職人のリレー、第一走者は有限会社吉正織物工場・社長であり、
浜縮緬工業協同組合の理事長でもある、

吉田和生だ。

(この企画では、紹介のみ敬称略とさせていただきますので、
ご了承ください)

吉正織物工場は、ここ口分田町に工房を構えて三世代。
紬をつくっていた先代から、今では浜ちりめんをつくっている。

”浜ちりめんとしては新参者。だからこそ色々なチャレンジをしてきた。”
そう語りながらも、今では組合とこの産業を牽引する吉田さんに、
吉正織物工場と長浜シルク産業の裏側を聞いてきた。

つくる人にとっての余裕

仕立屋と職人 石井挙之(以下T):
先日の未来会議vol.1ではありがとうございました。率直にどうでしたか?

吉正織物工場 吉田和生(以下Y):
改めて自分たちの仕事や環境を客観的に見れたかな、というのが第一。
40年自分でやってきた中で、「浜ちりめんはこうやっていくべきだ。」
というのが固まりつつあった。
我々(機織り産業)は、経済環境的に追い込まれて行くと
余裕がなくなってくる
んですよ。
バブルまではね、景気が悪いと言っても環境的にはまだよかった。
私が知ってる限りで和装関連は、平成7年でパキっと折れた。
そこから経費が落ちづらくなって採算が合わず、赤字のどん底。
蓄えを食いつぶしながらなんとかやってきたところも、
のれんを下ろすところが多くなった。
その中で新しい道を模索しないとやっていけない。
そういうつもりでやってきたけど、まだまだ知らないことも、
できることもあるんだなと。

平成7年(1995年)はバブル崩壊(平成3年)後の平成不況真っ只中。
反物は徐々に販売価格が下がって行き、この年あたりからいよいよ
採算割れに陥った。

T:
余裕っていうのがものづくりに関して、一つキーワードだと思うんです
けど、その厳しい環境の中で吉田さんを駆り立ててきたものって
何なんでしょう?

Y:
やっぱり、未来志向的に浜ちりめんをどうしていくか。
その先が分からないなりにも、その時できる最良のことを
やってきたつもりですね。

T:
なかなか難しいところだな、と思うのは地場産業としての
浜ちりめんをどうしていくのか、というのと、
吉正織物工場の反物が売れるっていうのとでは、
また少しチャレンジの仕方も規模も違うじゃないですか。
それを続けていく吉田さんの決意ってなんなのか、
すごく気になってたんですよ!

Y
もうここまで来ると『やるしかない!後には引けない』んですよね(笑)
実は終わるということも、余力がないと終われない。
今続けていることを整理して終わらせなきゃいけない。
その整理する余裕があれば、前に進みたい!と。

全国的に見て、伝統工芸の家は過渡期に入っている。
これまで何代も続けてきた歴史を繋ぐのか、それとも、
後世(主に息子の代)の食い扶持を心配してのれんを下ろすのか。
その狭間に立っているのが、今の職人。
整理をしていくのは、業務的にも精神的にもかなりパワーがいる。

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T:
長浜には機織りの工場(会社)がいくつかありますけど、その中で
これが吉正オリジナルだぜ、というところはどういうところなんですか?

Y:
それをこれまでやってきたつもりです。
22歳で私がここに戻ってきた。今61歳だから、およそ40年ですね。
吉正織物工場の浜ちりめんの歴史=私がつくってきた年数なんです。
(40年以前は浜ちりめんではなく、紬をつくっていた最大手だった。)
昭和48年が浜ちりめんの生産ピーク。その頃の紬というのは
カジュアル志向だったわけです。
つまり、正式にはフォーマルな場では紬は使えないんです。
それで私が戻って来るタイミングで浜ちりめんだったらしばらく
安泰じゃないか、と先代(親父)に提案してくれたのが、
名誉市民の長谷定雄さんだった。

長谷定雄さんとは、浜ちりめんの発展に影響を与えた長浜市名誉市民。
黒壁スクエアの初代社長。
生産のピークを少しすぎた頃、紬はこれから厳しい状況に立たされる、
という懸念が職人の間ではすでにあったのだろう。

”新参者”が認めてもらうということ

T:
でも、これまで紬をつくってきていて、浜ちりめんに転向する、
というのはかなりチャレンジだったんじゃないですか?

Y:
チャレンジですね。
うちは新参者で認めてもらうのに時間がかかった・・・。
もうすでに(市場には他社製品が)バリバリ流れてるわけですよ。
とにかく大学を卒業してすぐに家業についたので、繊維のことは
まったくわからなかったし。
その頃は滋賀県繊維工業指導所(現・滋賀県東北部工業技術センター)
という織物の公的研究機関に毎日のように通いつめましたね。
3年半くらい。
これが仕事をしながら、試験研究3年間やり続けるのって、
結構しんどくて(笑)

研究の成果が実ったのは昭和58年。
通産大臣賞を獲った。
それ以来、問屋さんの方が
「なんや、ちょっとはまともに扱ってやらなアカンなぁ」
と認めてくれた。

川上から川下へ流れて行くリレーの中では、
先の問屋や染色職人の評判・評価が一番大事になるらしい。
川上にいる反物をつくる職人たちにとっては、
加工されない+卸先がないという状況がこの川上川下システムの中で
生きていく上で、辛いところでもある。

Y:
認めてもらった時には、すでに機織り産業自体が下降気味だった。
つまりいくらつくっても、うちのものは限られたところにしか
流通しないわけですよ。
反物は京都・室町に集められて、そこから全国に出てった。
つまり昔から浜ちりめんをやってきた工場は、京都を介して
日本の隅々まで名が知られていることになる。
そういう一流どころと勝負するには、まず負けない品質をつくらなければ
ならなかった。それはもう追いつけ追い越せで。

でもね、(この中での)ネームバリューってすごくて、
卸先は大きな会社との付き合いが長い中で、そこに急に吉正織物工場が
でてきても、何も製品に問題がなければ買い先を変える必要なんてない
わけですよ。
「間に合ってるからいいよ。」って。
そこに流そうと思うと、値段を安くするしかない。
「安いなら買ってやるか。」ってなるからね。

”新参者”たる所以の難題は、卸先や問屋との関係構築だ。
出来上がっている市場にどうねじ込んで行くか。
ネット販売など無い時代は、自らの足や手を使い販路を
獲得しなければいけない。
これまで会ってきた長浜の機織り職人も、
つくりながら行商もしていた
という話をよく耳にした。

まさに近江商人STYLE。

そんな吉田さんも、かつて「続けるか?畳むか?」という選択を
先代から投げかけられた。

Y:
平成9年になって、いよいよ食いつぶして無くなってしまうぞ、
という危機を感じ始めた。
今ならまだ、やめるための資産がある。やめる余力がある。
どうする?畳んでよそに働きに出るか?って親父が言うんです。

でも、それなりにやってきましたからね、
(他社に)品質で負けてる気はしなかった。
設備はある。だったら他がやってないものを作り出そうと、
もう一度チャレンジしてみようじゃないか、と決めた。

そうして夏にも使える、さわやかちりめんの開発に成功したんです。

さわやかちりめんは、夏向けの浜ちりめん。
(これまで浜ちりめんは生地として重たく、夏には適していなかった)
開発から20年経ち、現在では他社でもつくるようになり、
浜ちりめんの定番になった。
浜ちりめんは普通、
緯糸(反物の長辺に対して短辺)に強いヨリをかけて、シボを出す。
さわやかちりめんは経糸(反物の短辺に対して長辺)に
ヨリをかけた糸を使った。

こうして吉正織物工場は”新参者”として、”挑戦者”として、
すでに全国に棚を持っているビックネームな競合に対し、
独自の製品づくりに磨きをかけてきた。

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信頼ある生地を織る

Y:
友禅とか、高い染めに使う生地っていうのは、
信頼がないと使ってもらえないんですよ。

絵柄があって、地色を染めるのは最後の方になる。
普通、絵柄の行程では問題は出ないんですよ。
なぜなら、一つひとつ彩色していくから、そこで傷などの
問題があるんだったら目で見てわかる。

目に見えない問題が、あとで出るか、出ないかが重要なんです。

長い時間かけて、絵柄を描いて、糊を伏せて(定着させて)、
最後に地色をブワァ〜〜〜っと染めるわけですよ。
この時に、色がムラになったり、縦筋が入ったりすると、
ナンジャこれは〜〜〜〜〜!!!
となりますよね。だって何ヶ月もかかりますから、ここまでくるのに。

つまり、そもそも信頼性がない生地は、色生地として使ってもらえない。
その他大勢は、真っ黒に染めるだけの喪服用の反物になる。

T:
黒一色の反物は、いい色がでる色生地とは値段が全然違うわけですね。

Y:
問題なく美しく染まる生地であるかどうか、は大前提の話。
そこでようやく、発色性がいい、光沢があるか、という土俵にあがる。

浜ちりめんは一反の生地ができるまで、38行程もある。
その間に、機械は回り続け、各パートごとに職人がつく。
ただし、完成形は38行程先までわからない。
将棋の二手三手先を読む、それ以上の次元なのかもしれない。

と、いうわけで前編はここまで!
長浜紬の最大手から、浜ちりめんへ転向した、吉正織物工場・三代目。
新たにスタートを切る難しさ、その中で吉正ブランドを確立するための奮闘。

浜ちりめんをどうにかしようと
前のめりに挑戦してる職人=吉田和生
名前をあげる人は多い。
その所以は、新規参入から挑戦の連続だった。

後編は、吉正織物工場で一緒に働く職人、そして見据える浜ちりめんの未来について!

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