職人文化人類学

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【長浜】地場産業を辿ってタイムトリップ! ヒゲロンゲが行く!職人のお宅訪問!

2018/3/18 職人文化人類学の実践 Writer:仕立屋と職人 イシイとワタナベ

witer:石井

長浜の伝統産業に思いを馳せながら、国道8号を走り抜ける。
向かう先は(株)丸万中尾
ここで少しずつこの地の伝統産業の姿が見え始める。

まず・・・、浜ちりめんだけではないということはご存知ですかね?

きた、ホットワード。
丸万中尾社長が開口一番にする。

中国〜大阪〜京都から長浜にちりめんが入ってくる、
もっと前から養蚕はあった。
そう考えると、シルクは浜ちりめんなどより
歴史は古い。
つまり、ここらの地場産業はシルク産業と言えるでしょう。

ユカリ調べによると、
湖北では899年に伊香具神社で初めての生糸が作られたと言われている!
出典元:滋賀県教育委員会, 2009,3)

社長は続ける。

8号通ったでしょ?
おりひめっていう大きなご飯屋さんあったよね?
あそこはもともと織機のシャトルを作ってた会社。
ワボウ電子は字の通り、和紡だね。
今ではママさんと子供たちが集まるサンサンランドは”蚕蚕”ランド、
養蚕試験場だったわけ。

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↑シャトルイメージ。反復横跳びのように行き来しながら横糸を入れていくための部品。ちなみにこれは僕の手ではない。(出典元

今はご飯屋さんだったり電気屋さんだったりするけど、明治〜大正〜昭和の
全盛期には町中が糸に関係する会社だらけだった。

長浜ではなく少し離れた米原に新幹線(汽車)の駅を建てたのも、
ススで絹が汚れるのを職人たちがイヤがったからだという話さえある。
つまり、生糸がこの町の本流で生地産業、祭り、交通が枝分かれしながら
この町をつくっていったんだね。

おぉ〜〜〜!
さすが社長!話がわかりやすい!そして話が上手い!

製品と工製品は成り立ちや精神が全く違うから、
このあたりを意識してみるともっと見えてくるかもしれないね。

深い、深すぎる。
秀吉で驚いてたら、卑弥呼や空海、なんとかのミコトとか出てくる・・・
大きなヒントをもらって、中尾さんと別れた。

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