職人文化人類学

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「カオスからだるま転がるその先へ。」達磨大師超人説

2019/3/22 職人文化人類学の実践 Writer:仕立屋と職人 イシイとワタナベ

witter:ワタナベ

突如始まったワタナベの企画。
「カオスからだるま転がるその先へ。」
今回は「達磨大師超人説」篇 でございます。

だるまの話をするのに避けて通れないところですね。
達磨大師、ご存知ですか?

google先生で画像検索かけますと…

画像

これを、見れば、
「ああああ、この人ね。」
と、なる方が多い、と勝手に解釈し先へ進みます。

そう、この達磨大師がだるまのモデルなんですが…
お恥ずかしながら、あたしは全くの無知でした。

達磨大師超人的伝説が多々あるので、
達磨大師の生き様とともにご紹介。
詳細はちょい(否、かなりかも)省き、
スーパーキャッチーな感じでお送りいたします。

達磨大師、推定150歳まで生きる

達磨大師、生まれは南インド。
(まず、あたしはインド人だったことに驚き)
約1600年前、南インド国王の三男として生まれます。
(良いお家の子だったのですね)
幼少期に般若多羅という僧侶と出会い、
10歳で般若多羅の弟子になります。
(人生決めるのが早いですね、今の時代だと考えられません)
この時に、菩提達磨と改名します。

ここからがすごい…
40年間 自らの修行をし、
インドで67年間布教をし、
3年かけて中国へ行き、
中国で10年間布教する。
その後、少林寺の裏の洞窟で9年間壁に向かって
座禅を組み、禅の奥義を悟る…(所謂、面壁九年というやつです)
かなり、彼の人生を省略しています。

そうなのです。さっと流すように書いたのですが、
達磨大師は禅宗の開祖なのです。(へぇ〜)

この時点でざっと計算すると
139年生きていますw
しかし、
150年生きたとかそんな話もあるそうです。

いやいや、今の医療技術を駆使しても
150年生きるのは難しい話ですね。
何とも超人的存在…

しかも、
周りの僧侶からあまり好まれていなかったらしく
毒盛りされるが、5回は生き延びる。
そして6度目の毒盛りで、
528年10月5日 亡くなったそうです。
何とも超人的身体…

この10月5日を日本では達磨忌として
達磨大師の徳を偲ぶ法要を行なっています。
(地域によってはこの日が違う場合もあります。)

他にも、聖徳太子と出会った説など
各地に出現する話がたくさん残っています。(割愛)

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↑月岡芳年『月百姿 破窓月』(木版画 1887年)

達磨大師のファッションチェック

達磨大使のビジュアルといったら
赤い布を被り、目力半端ない、毛量多め、
そんな感じ。

では、達磨大師のビジュアルを分解して
見ていきましょう。

達磨大師の基本情報
南インド出身、南方の衣装、アーリア系の大きな目

目がギョロリ
修行で眠らずに座禅を組むため瞼を切り取ったそうです。
(聞いただけで痛い…ああぁ…)
この捨てられた瞼から木が生え、
それがお茶の木になったと云われているそう。
まぁアーリア系なのでそもそも目はパッチリ系です。

ワイルドなヒゲ
9年間の修行で生え放題です。

時を越え人気、不動のイヤリング
インドの王族出身のため、
装飾具もたくさんつけていたのではとのこと。
禅画や土人形の達磨大師には
イヤリングが装着されているものも多いですね。

ドレープの美、トレードマークの赤い布
南インドは暑いから日よけのため
頭から布被っていたのかもしれませんね。
赤い色は仏教での位が高い人の印でもあります。
「赤」に関して別途特集組みたいくらい
書きたい事いっぱいなので、また後日…

払子で、煩悩よ、さようなら
手に払子(ほっす)という
白熊(はぐま)や馬の尾、麻などをたばねた
大きな筆のような仏具を手に持っています。
インドで虫除けに使う道具だったそうです。
それが時を経て、
中国の禅宗で煩悩を払う法具として
使われるようになったと…
(あたしの大量の煩悩も払えるかな…)

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だるまにそのまま残っている
ビジュアルがたくさんあります。
1600年前のビジュアルが未だに残っている、
やはり、達磨大師超人ですね。

達磨大師といったら…
という多くの人に共通するイメージがあるのは
禅宗の禅画であったり、月岡芳年の絵や、
だるまの影響なのかなと思います。

今回は達磨大師についての内容でしたが、
次回はなぜこの達磨大師が「だるま」になったのか
そのロードダルマについて書こうと思います。


内容に関しては
地域や禅宗、歴史等の解釈が様々あります。
その中で、文献等から要約した内容や
伝説を書いておりますので予めご了承ください。

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